2015年 11月 19日
多次元世界 |
ワシはたしかにヘンだ。
ヒマラヤやロッキーなど世界各地でも、
熊野や北アルプスでも、
お山で生死の境目にさらされるとおかしくなる。
下界にいるときから酸欠だったのかもしれない。ほんでも、本厄の歳まではまだましだったね。
回路がおかしくなったきっかけははっきりしている。
赤十字病院で内科医が誤診して死にかけた時だ。
本人ははじめから「盲腸だと思います」と自分で歩いて病院を訪れたのだが、インド旅行から帰ったばかりだったので、内科医が「これはいかん、きっと伝染病ですっ」と決めつけて緊急入院になり、20日間もあの検査この検査・・・、エイズから梅毒からありとあらゆる伝染病を主治医様が検査してくださったのです。結果は全部シロ。
その間に、盲腸は破裂・・・。
繰り返すと、初めは歩いて病院まで行ったんです。
入院してから急激に悪くなり、しかも毎日どんどん悪化していき、とうとうトイレまでも歩いていけなくなった。41度の熱が出て薬で無理やり下げると36度になる、それを一日に3~4回繰り返す日々、すると明け方、ベッドのそばに人影が現れる。
次の日の昼間、「となりの病室を見てきて」と付き添いの人に頼むと「だれもいないよ」と。
数日前には、人がいたさ、自分の目で見たんだ。
別の日には、斜め前の部屋の人、その数日後には、また別の部屋の人・・・、みなさん、ワシに挨拶に来るんだ。
こちらはベッドから見てるので、向こうの足は見えない、あるのかないのかはわからない。
上半身はうっすらと見える。薄暗がりだからというより、もっとうっすらと。でも顔はわかるんだよね。
八事(霊園)のそばだから霊線でもあるんだろ、ワシの病室は病院の北側にあり北向きの窓だったし・・・。
さらにそのうち、熱と薬で朦朧としすぎて、目覚めているのか夢なのかわからなくなった頃だ。
川を渡っている、たぶんガンジス川だ。船の同乗者はみなさん清潔な白い着物をまとっている、ワシだけが旅行中の普段着GパンとTシャツだ。渡り終えると、みなさんは案内されてゆっくり進んでいく。しばらくたたずんでいたが、ワシにはガイドが付かないし、どこへ行ったらいいのかわからない。なんとなく階段を数歩上がると、上の方にお花畑が見えて、美しい音楽が流れてくる。あそこへ行こう・・・と。
そうしたら、ワシを育ててくれた祖父母が怖い顔してこっちを見てる。ほんで、蹴っ飛ばされた。
ワシは川のこちら岸まで飛ばされた。ひざ下まで泥に浸かって、泥だらけの服で、ぼーっと向こう岸を見てる。光るお花畑の向こう岸を・・・。
そしたら、別の医者がワシの顔をとんとんとたたいて、「起きろ」と、「なんでこんなになるまでほっといたんだ」とどなられた。
「あの~、入院してもう3週間になります」とワシ。
「うそだろ」とカルテを見たその外科医(名札に外科とあった)「ほんとだ」と立ち去り、詰め所からの大声が聞こえた。数分後、その伊神センセが戻ってきて、今から緊急手術だと、それが月曜の16:00すぎ。
やりながらでないとわからないと、まず簡単な手術から。
膿を抜くんだそうだ。局所麻酔で、皮膚しか麻酔は効かない、ってことは、内臓はそのままの状態でぶっとい針を何本も刺された。正式な手術室じゃなくて、その時間は準備室しか空いていない。
排水のパイプをつかまされて、叫んでいいよって、我慢したけどさすがに多少はさけぶよね。ほんで数十分後、「あかんな、切開だ」と。右の脇腹から何本か血の流れが出てるのは見たよ、自分で。
しばらくして麻酔医が来て、いちにさんし・・と数えていたら、火曜の朝だった。
「成功だよ」と、五分五分だったらしい。
そんなわけで、何かの回路が開いてしまったワシ、最低でも一か月は安静ですねといわれたが、実際にはとにかく早く出たかったので自分で歩いて退院するまでの残り2週間、時々明け方にどなたかがお見えになるのは続いていた。手術には覚せい剤も麻薬もたっぷり使うよ、でもそのせいじゃない。人間やめてないから・・・。
後から思い返せば、よくある話だにゃん。
全然もんげ~くねえずら。
プラズマかなんか知らんけど、
お宅らは何も感じなくても(何も感じない方が幸せだろうし)
ワシにはいろいろ見えたり聞こえたりする、もう慣れっこだけどね、
そんな世界もあるんだ。
そんな人はほかにもたまにいるよ。
自分がわからへんからって、
それが無い、とは限らないさ。
観自在菩薩行
色即是空・空即是色
観自在菩薩業、
これもお仕事で~~す。
ヒマラヤやロッキーなど世界各地でも、
熊野や北アルプスでも、
お山で生死の境目にさらされるとおかしくなる。
下界にいるときから酸欠だったのかもしれない。ほんでも、本厄の歳まではまだましだったね。
回路がおかしくなったきっかけははっきりしている。
赤十字病院で内科医が誤診して死にかけた時だ。
本人ははじめから「盲腸だと思います」と自分で歩いて病院を訪れたのだが、インド旅行から帰ったばかりだったので、内科医が「これはいかん、きっと伝染病ですっ」と決めつけて緊急入院になり、20日間もあの検査この検査・・・、エイズから梅毒からありとあらゆる伝染病を主治医様が検査してくださったのです。結果は全部シロ。
その間に、盲腸は破裂・・・。
繰り返すと、初めは歩いて病院まで行ったんです。
入院してから急激に悪くなり、しかも毎日どんどん悪化していき、とうとうトイレまでも歩いていけなくなった。41度の熱が出て薬で無理やり下げると36度になる、それを一日に3~4回繰り返す日々、すると明け方、ベッドのそばに人影が現れる。
次の日の昼間、「となりの病室を見てきて」と付き添いの人に頼むと「だれもいないよ」と。
数日前には、人がいたさ、自分の目で見たんだ。
別の日には、斜め前の部屋の人、その数日後には、また別の部屋の人・・・、みなさん、ワシに挨拶に来るんだ。
こちらはベッドから見てるので、向こうの足は見えない、あるのかないのかはわからない。
上半身はうっすらと見える。薄暗がりだからというより、もっとうっすらと。でも顔はわかるんだよね。
八事(霊園)のそばだから霊線でもあるんだろ、ワシの病室は病院の北側にあり北向きの窓だったし・・・。
さらにそのうち、熱と薬で朦朧としすぎて、目覚めているのか夢なのかわからなくなった頃だ。
川を渡っている、たぶんガンジス川だ。船の同乗者はみなさん清潔な白い着物をまとっている、ワシだけが旅行中の普段着GパンとTシャツだ。渡り終えると、みなさんは案内されてゆっくり進んでいく。しばらくたたずんでいたが、ワシにはガイドが付かないし、どこへ行ったらいいのかわからない。なんとなく階段を数歩上がると、上の方にお花畑が見えて、美しい音楽が流れてくる。あそこへ行こう・・・と。
そうしたら、ワシを育ててくれた祖父母が怖い顔してこっちを見てる。ほんで、蹴っ飛ばされた。
ワシは川のこちら岸まで飛ばされた。ひざ下まで泥に浸かって、泥だらけの服で、ぼーっと向こう岸を見てる。光るお花畑の向こう岸を・・・。
そしたら、別の医者がワシの顔をとんとんとたたいて、「起きろ」と、「なんでこんなになるまでほっといたんだ」とどなられた。
「あの~、入院してもう3週間になります」とワシ。
「うそだろ」とカルテを見たその外科医(名札に外科とあった)「ほんとだ」と立ち去り、詰め所からの大声が聞こえた。数分後、その伊神センセが戻ってきて、今から緊急手術だと、それが月曜の16:00すぎ。
やりながらでないとわからないと、まず簡単な手術から。
膿を抜くんだそうだ。局所麻酔で、皮膚しか麻酔は効かない、ってことは、内臓はそのままの状態でぶっとい針を何本も刺された。正式な手術室じゃなくて、その時間は準備室しか空いていない。
排水のパイプをつかまされて、叫んでいいよって、我慢したけどさすがに多少はさけぶよね。ほんで数十分後、「あかんな、切開だ」と。右の脇腹から何本か血の流れが出てるのは見たよ、自分で。
しばらくして麻酔医が来て、いちにさんし・・と数えていたら、火曜の朝だった。
「成功だよ」と、五分五分だったらしい。
そんなわけで、何かの回路が開いてしまったワシ、最低でも一か月は安静ですねといわれたが、実際にはとにかく早く出たかったので自分で歩いて退院するまでの残り2週間、時々明け方にどなたかがお見えになるのは続いていた。手術には覚せい剤も麻薬もたっぷり使うよ、でもそのせいじゃない。人間やめてないから・・・。
後から思い返せば、よくある話だにゃん。
全然もんげ~くねえずら。
プラズマかなんか知らんけど、
お宅らは何も感じなくても(何も感じない方が幸せだろうし)
ワシにはいろいろ見えたり聞こえたりする、もう慣れっこだけどね、
そんな世界もあるんだ。
そんな人はほかにもたまにいるよ。
自分がわからへんからって、
それが無い、とは限らないさ。
観自在菩薩行
色即是空・空即是色
観自在菩薩業、
これもお仕事で~~す。
by cloud-eagle
| 2015-11-19 13:27
| いろいろ